2008年05月03日
シビれまくった投手〜オール上間〜

(写真:オール上間バッテリー)
どもっ!
今日の比屋根タイガースは高原小学校にて中南部の強豪を招いて練習試合をしました。
午前中仕事の僕は午後1時半頃にグランドにつき、そして代表の2試合に連続で主審を務めました。
本日最後の試合となった(主審2試合目)相手は、オール上間さんでした。
前半はタイガースのペースで進み2−0のリードで且つ無死満塁のチャンスを掴みます。
そしてここで登場したのがオール上間のエース君!
…ビックリしました(゜Д゜)…
主審してて初めて震えるような、ワクワクするような学童投手に出会えました。
伸びのある素晴らしいストレートが外角低め、真ん中低めにビシビシ決まる!
僕の「ストライ〜クっ!」という声のテンションも上がりっぱなしです。
タイガースも秀逸な投手と対戦し、凄く有意義な1日のピリオドを打つことが出来たのではないでしょうか。
白川ヒリューズさん、オール上間さん、きむたかイーグルスさん。
今日はタイガースに胸を貸して下さりありがとうございました。
PS.白川ヒリューズのハンサムOコーチと共に、ヒリューズマドンナ・Makisukeさんとも出会い、オール上間の○元コーチとも話を交わすことが出来ました。
(M監督、キーマン殿、お先ぃ〜(^-^)/~~
これもマッシーさんのおかげですm(_ _)m
あっ〜!( ̄□ ̄;)!!
オール上間のエース君からサイン貰うの忘れたぁ〜(/_・、)
2008年05月03日
北海道日本ハム・飯山裕志ストーリー2
中学校を卒業後、鹿児島のれいめい高校に入学。
すぐに頭角を現し、1年生の夏には背番号は16ながらショートの定位置を獲得。
レギュラーとして活躍した。
そして忘れもしない準決勝戦、相手は鹿児島商高。
がっぷり四つに組み合った試合は同点のまま進んでいく。
そして相手に流れが行きかけた中盤だった。
一死一、三塁のピンチ。バッテリーが狙ったのは併殺プレー。
内野もバックホーム体勢ではなく中間に位置した。
打者が打った。。。。。。。。。
打球は注文通りに内野ゴロとなり、一年生ショートの前に転がった。
「イージーゴロでした。セカンドへ確実に投げようとしたんですが。。。
指に引っ掛けてしまって。。。」
それたボールは転々をライトに転がり、その1点で相手に勢いを、味方には落胆を与えチームは敗れた。
甲子園への道は断たれた。
最後のチャンスを前にベンチで泣き崩れる3年生を呆然と見つめるだけしか出来なかった。。。
「1つの打球に対する気遣いが足りず、自分だけでやってしまった結果が大きなミスになった。
野球の難しさ、1球の厳しさを痛感しました」
肩を落とし、家に戻った息子に対し、父親は励ましの言葉を掛けなかったが、そのかわりに何も言わなかった。
一つのボールを全員で繋ぐこと・・・・・チームプレーの大切さを父は家族の仲で子供達に常になげかけてきた。
父はその(エラーをしてしまったあとに何も言わなかった)教えを、息子の将来への貴重な財産になると信じていた。
少年は責任を一身に感じて泣き崩れた。ベッドに戻って泣き明かした。
15歳の野球少年が改めて野球の怖さ、奥深さを知るきっかけとなる日となった。
・・・その体験後、彼と彼の野球部員は甲子園出場の夢こそ叶わなかったが、
彼は鹿児島県選抜チームの一員として中国遠征を経験するなど、県下で好選手として注目を集めていくこととなっていきます。
〜つづく〜
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すぐに頭角を現し、1年生の夏には背番号は16ながらショートの定位置を獲得。
レギュラーとして活躍した。
そして忘れもしない準決勝戦、相手は鹿児島商高。
がっぷり四つに組み合った試合は同点のまま進んでいく。
そして相手に流れが行きかけた中盤だった。
一死一、三塁のピンチ。バッテリーが狙ったのは併殺プレー。
内野もバックホーム体勢ではなく中間に位置した。
打者が打った。。。。。。。。。
打球は注文通りに内野ゴロとなり、一年生ショートの前に転がった。
「イージーゴロでした。セカンドへ確実に投げようとしたんですが。。。
指に引っ掛けてしまって。。。」
それたボールは転々をライトに転がり、その1点で相手に勢いを、味方には落胆を与えチームは敗れた。
甲子園への道は断たれた。
最後のチャンスを前にベンチで泣き崩れる3年生を呆然と見つめるだけしか出来なかった。。。
「1つの打球に対する気遣いが足りず、自分だけでやってしまった結果が大きなミスになった。
野球の難しさ、1球の厳しさを痛感しました」
肩を落とし、家に戻った息子に対し、父親は励ましの言葉を掛けなかったが、そのかわりに何も言わなかった。
一つのボールを全員で繋ぐこと・・・・・チームプレーの大切さを父は家族の仲で子供達に常になげかけてきた。
父はその(エラーをしてしまったあとに何も言わなかった)教えを、息子の将来への貴重な財産になると信じていた。
少年は責任を一身に感じて泣き崩れた。ベッドに戻って泣き明かした。
15歳の野球少年が改めて野球の怖さ、奥深さを知るきっかけとなる日となった。
・・・その体験後、彼と彼の野球部員は甲子園出場の夢こそ叶わなかったが、
彼は鹿児島県選抜チームの一員として中国遠征を経験するなど、県下で好選手として注目を集めていくこととなっていきます。
〜つづく〜
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