2008年05月03日

北海道日本ハム・飯山裕志ストーリー2

中学校を卒業後、鹿児島のれいめい高校に入学。

すぐに頭角を現し、1年生の夏には背番号は16ながらショートの定位置を獲得。
レギュラーとして活躍した。







そして忘れもしない準決勝戦、相手は鹿児島商高。


がっぷり四つに組み合った試合は同点のまま進んでいく。
そして相手に流れが行きかけた中盤だった。


一死一、三塁のピンチ。バッテリーが狙ったのは併殺プレー。
内野もバックホーム体勢ではなく中間に位置した。




打者が打った。。。。。。。。。









打球は注文通りに内野ゴロとなり、一年生ショートの前に転がった。






「イージーゴロでした。セカンドへ確実に投げようとしたんですが。。。
指に引っ掛けてしまって。。。」







それたボールは転々をライトに転がり、その1点で相手に勢いを、味方には落胆を与えチームは敗れた。
甲子園への道は断たれた。
最後のチャンスを前にベンチで泣き崩れる3年生を呆然と見つめるだけしか出来なかった。。。







「1つの打球に対する気遣いが足りず、自分だけでやってしまった結果が大きなミスになった。
野球の難しさ、1球の厳しさを痛感しました」






肩を落とし、家に戻った息子に対し、父親は励ましの言葉を掛けなかったが、そのかわりに何も言わなかった。

一つのボールを全員で繋ぐこと・・・・・チームプレーの大切さを父は家族の仲で子供達に常になげかけてきた。

父はその(エラーをしてしまったあとに何も言わなかった)教えを、息子の将来への貴重な財産になると信じていた。








少年は責任を一身に感じて泣き崩れた。ベッドに戻って泣き明かした。

15歳の野球少年が改めて野球の怖さ、奥深さを知るきっかけとなる日となった。








・・・その体験後、彼と彼の野球部員は甲子園出場の夢こそ叶わなかったが、
彼は鹿児島県選抜チームの一員として中国遠征を経験するなど、県下で好選手として注目を集めていくこととなっていきます。



〜つづく〜
人には必ず試練がやってきます。
その試練の分岐点に立つときがやってきます。では何故試練はやってくるのでしょうか。

愛する息子(娘)が苦しむ姿を見るのは親として忍びないことでしょう。手を貸してあげたりアドバイスという形を持って助けようとするのが親かも知れません。

しかし飯山家の父は、無言の教えが財産になると信じました。
そうして息子は自分がやったことの大きさを感じ、責任感が芽生えてより自立心を確立していくことが出来たのです。

無言の教えは何も見捨てるということではありません。
息子(娘)に試練が訪れたと感じたとき、それによって成長させるのも甘えん坊で終わらせるのも、親次第なのだということを、飯山家の父は教えてくれたのです。


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