2008年05月04日

北海道日本ハム・飯山裕志ストーリー3

1998年秋、野球少年は夢をかなえることとなる。








「日本ハム、飯山裕志。18歳」





ドラフト会議で日本ハムから4位指名を受けた。
帰宅すると既に馴染みの仲間らが駆けつけ、二階の部屋は大賑わいだった。嬉しかった。


…どれくらい時間が経ったのだろう。ようやく場が落ち着き、一階のリビングに降りると父が一人、酒を飲んでいた。

普段から多くを語らない父がひとこと声をかけた。

「良かったな…ゆ〜じ」








「やっと期待に応えられたという気持ちでしたね、あのときは。本当に嬉しかった」

飯山は今も、あのときのことを鮮明に覚えている。







一昨年、双子の男の子が誕生し三人の父親となった飯山。
家族の大切さと同時に養うことの重さも感じている。

帽子のひさしには妻と愛息子の頭文字を書き込み、帽子内部の最深部に自分の名前の文字である「志」を記している。













「いつまでも、こころざしを持ち続けること−。そこにはこれまでお世話になった方々に、自分が野球をする姿で恩返ししたい、という意味が含まれているんです」









飯山裕志。

自身の名前を締めくくる「志」の一文字は、周囲への感謝の気持ちをいつも胸に秘める、そんな父親から受け継いだDNAが脈々と流れている。











…彼はいわゆるスター選手ではありません。
一年目の年俸は…
年俸は420万円。

鳴り物入りで入団してくる新人の中にはプロとして実績を積む前の段階で1000万円以上の年俸を手にする選手も少なくありません。

しかし二軍のグランドに居ても、どんな苦境でも飯山の心が折れることはなかったのです。
そして2005年、ようやく年俸が1000万円を超えたのです。



「自分が大好きな野球をやれて、給料をもらえるんですから、これほど幸せなことはないです」
と語る飯山。
2007年には105試合に出場。打率も三割をマークする活躍を見せたのでした。


アメリカに帰郷した前監督のヒルマンはこう語っています。


「飯山は下半身の敏捷性に優れていて、グラブ捌きも肩の強さも球界を代表するレベル。
単に守備の巧い選手という以上の存在価値が彼にはある。
ゲーム終盤、接戦になったときの飯山の守備力は、チームには不可欠なピースだったよ」











…ひとつのことを地道にやり続けることはかなり難解です。
結果が中々出ず、失望感に苛(さいな)まれ後から来た者に先に行かれる屈辱に耐えながら、夢を諦めない精神力は簡単には育まれません。


最後の明日は、飯山の忘れられない父親との思い出に触れます。



〜つづく〜


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この記事へのコメント
野球選手には、帽子のつばに思いを託しているんですね~
CBコーチは何を書いてます?
Posted by マッシー!! at 2008年05月07日 10:33
☆マッシーさん☆

まいど!
そうですね、帽子に買いたり刺繍したり…色々な思いが入っているパターンは多いですよね。
僕は出来たらマイグローブに刺繍したいですね〜。
Posted by CB at 2008年05月07日 10:50